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そして蘭軒の長安信階に於けるが如く、棭斎も亦養父三右衛門保古(はうこ)に事(つか)へてゐたことであらう。五十四歳の隆升軒信階(りゆうしようけんのぶしな)が膝下で、二十一歳の蘭軒は他年の考証家の気風を養はれてゐたであらう。年は二十三歳で、山陽には五つの兄であつた。 これが山陽の面目である。 これが蘭軒の面目である。茶山は既に蘭軒を七日市に迎へたやうに、又蘭軒を尾の道に送つた。蘭軒が歿した後に、山田椿庭(ちんてい)は其遺稿に題するに七古一篇を以てした。山陽は本郷の医者の家から、転じて湯島の商人の家に往つて、又同一の雰囲気中に身を寘(お)いたことであらう。