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しかし同年12月1日、巡業先の京都から名古屋へ向かう途中、余りにも急進的な流れに疑問を感じていた馬場が上田馬之助を捕まえて問いただした。同年12月、豊登が放漫経営の責任を取り日プロの社長を辞任し、日本プロレスから去った。 なお、馬場は猪木の計画に一旦は賛同した責任を取り選手会長を辞任(後任は大木金太郎で反猪木の急先鋒でもあった)しており、猪木追放を発表した会見後に開かれた選手会による祝杯に馬場、上田はともに参加していない(詳しくは密告事件を参照)。